だいぶ間が空いてしまいましたが、プレー回想その2です。
(6月9日:文章が変な部分を直しました)
ハンガリープレー時は、とりあえずドイツと友好を深め、1937年ごろには同盟を結ぶ。
ドイツと同盟を結んだ場合、気前よく技術移転(技術開発が通常の2倍になる)をしてくれるので技術レベルがどんどんあがります。特にハンガリーは技術開発チームの能力が低いので、序盤は大助かり。
で、ドイツと同盟後、チェコスロバキアに宣戦布告し、現スロバキアとなっている諸州を獲得。その後、ドイツによるチェコ併合が行われる。
1939年にルーマニアに宣戦布告し、戦争中にポーランドから宣戦布告される。
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ルーマニアの西部・西北部を割譲させ、ポーランド戦に全力を結ぶ。
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ワルシャワ周辺以外の西部地域のほとんどがドイツ領となり、一部はハンガリー領。
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とはいえ、得た領土が飛び地なのでドイツの適当な技術(青写真)と交換。
この後、3回やり直すことに。
1回目:ルーマニアの残りを併合し、のんびりと1941年を迎え、独ソ戦に巻き込まれる。→泥沼となり、貿易に支障が出る、戦争が終わらないとろくなことがないので、セーブしてあった1940年4月時点(ルーマニア併合前)に戻る。
2回目;今回はドイツとの同盟を破棄し、その後英国との友好を深めて連合国入り。1945年に開戦し、一時ベルリンを落とすまで行くが、あっさりと逆襲される。
また、同盟国の動きが悪く、あっという間に押し切られてゲームオーバー。
3回目:1945年の開戦前に戻り、ひたすら戦力の増強&更新に努める。
結果、20個歩兵師団、2個戦車師団(E-50装備)がそろう。
ゲーム終了まで後半年となった1947年7月にドイツに対して戦線布告。実はこの時点でドイツの総師団数は約180(w
対ソ線でへとへととなっていることを考えても結構無謀な開戦(^^;
この際の方針として、ブダペスト~スロバキア~ベルリン~キールを線で占領し、ドイツの東西分断を図ることにする(2回目の時は失敗)。東部の諸州については、放棄することに。
2個戦車師団+1個歩兵師団で結成した軍については、一気にキールまで突進させ、残りの軍(歩兵のみで構成)については、速度が速い軍をベルリンに投入し、残りはブダペスト~ベルリン間の線を維持させる。
対ソ戦に兵力が割かれていたこともあり、国境付近のドイツ軍をあっさりと突破し、装甲軍はキールまで一気に進み、ほかの軍も東西分断の線を引くことに成功。
西部戦線はフランス軍とオランダ軍が進撃を進めて、あっという間に西部ドイツは連合国の占領地となる。
その後、友邦のポーランドを救出すべく東部戦線に戦力を集中するも、ケーニヒスベルグ~ワルシャワ~クラクフ~スロバキアのラインで戦線が停滞(ドイツ軍のほとんどの師団がこのラインに貼り付けられたため、突破が不可能)。
そのままゲーム終了となり、連合国の勝利。
現在はアルゼンチンで南米大陸を征服しつつあるのですが、今回は枢軸がやたらと強く、ソ連の西半分+ヨーロッパ大陸全土を支配下においている有様。
続きはまた今度。
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極西リサーチ
2012年8月に立ち上げた書き物系サークル「極東基礎研究所」を前身とする、業界動向などを調査・分析している個人事務所です。 なお、本業のメーカー系シンクタンクでの仕事が多忙なため、現在更新が停滞しています。